歴史

川中島彫像と執念の石

武田信玄と上杉謙信が5回に及ぶ激戦を繰り広げた、川中島の古戦場。

善光寺から南へ下り犀川と千曲川に挟まれた一帯が、川中島の戦いで有名な古戦場跡です。
戦国時代、甲斐の武田信玄は信濃制覇のため、越後の上杉謙信はその北上阻止のために、1553年(天文22年)から5回に及ぶ激戦をここで繰り広げたと言われています。中でも名高いのが、1561年(永禄4年)9月10日の合戦で、長野市の南東にあたる八幡原を中心に、武田方2万と上杉方1万3000の大軍ががっぷり四つに組んで戦いました。
川中島古戦場跡には、両雄一騎打ちの像や三太刀七太刀之跡の石碑があり、激しい戦いの様子が目に浮かぶようです。両雄一騎打ちのこのシーンは長い戦いのハイライトです。萌黄(もえぎ)の胴肩衣を着け、頭を白い布で包んだ騎馬武者の謙信が、信玄めがけて走り寄り間髪を入れずに3度斬り付けました。迎え撃つ信玄は持っていた軍配団扇でとっさに受け止めましたが、後で見ると刀傷は7カ所もあったといいます。
この合戦は6000名余りが戦死した大激戦でしたが、結局勝負はついていません。また、騎馬の侵入を防ぐために刺した木が根づいたという「逆さ槐(えんじゅ)」、本陣の土盛りの跡や、謙信を取り逃がした武士が、悔しさのあまり槍(やり)で石を突き通したと言われる、穴の開いた「執念の石」なども残っています。

真田邸

川中島から千曲川を渡り、山を背にするとそこは真田10万石の城下町「松代」です。

関ヶ原の戦のとき、真田信之は、父昌幸・弟幸村と分かれて徳川方に属し、戦後家康から9万5000石を与えられて信濃上田の城主に。1622年(元和8年)には松代に移封され、初代松代藩主となりました。以後、10代250年にわたり、真田10万石はここ松代で独特の文化をつくり、今日に伝えています。
真田家と言えば家紋の「六文銭」が有名です。この家紋は菩提寺である長国寺の屋根にみることができます。また、長国寺の真田信之霊屋は重要文化財に指定されています。戦国時代から明治維新に至るまでの貴重な武具や調度品などは、「真田宝物館」に残っています。
隣接する真田邸は、9代藩主幸教(ゆきのり)が、母お貞の方のために隠居所として建てたもので、桜や紅葉の名所として名高い「水心秋月亭」という名の庭園は、四季折々の美しさで訪れる人を楽しませています。かつて松代藩の子弟が勉学や武術に励んだ「松代藩文武学校」や、幕末の維新家・佐久間象山の資料を集めた象山記念館、松代通信史料館、武家屋敷などが昔をしのばせてくれます。松代は、いにしえの日本情緒を感じさせる静かな町です。

霊屋の見学は事前予約が必要です。 TEL:026-278-2454

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