歴史

宿場町

昔日の面影が残る宿場町

塩尻は、昔から交通の要衝として栄えた街。江戸と京都を結ぶ中山道、洗馬(せば)から善光寺に行く北国西街道(善光寺街道)、塩尻から三河へと続く三州街道(伊那街道)など、それぞれの街道が交差する分岐点で、重要な地点であることから、しばしば合戦の場となりました。1548年(天文17年)の武田信玄と小笠原長時の塩尻峠の合戦では、勝利を得た武田側の信濃攻略の足がかりの地点に。塩尻を縦貫する中山道は、東海道、日光街道、甲州街道、奥州街道の5街道のひとつとして、江戸時代には重要な位置を占めていました。江戸中・後期には、幕府領いわゆる天領として塩尻宿、洗馬宿、本山宿などが栄えていました。宿場制度は1867年(慶応3年)、幕府の崩壊によって終焉(しゅうえん)を迎え、明治政府の街道制度の大改革によって、廃業に追い込まれました。しかし、当時の宿場の繁栄ぶりは語り草となっていて、その面影が見え隠れする宿場町の雰囲気は今でも残っています。
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