![]() |
温泉郷は、武将たちの隠れ里でした。
湯田中渋温泉郷は新湯田中、湯田中、星川、安代、渋、上林(かんばやし)、地獄谷、穂波、角間の9つの温泉からなり、古くは平穏温泉郷と呼ばれていました。なかでも最古の湯といわれるのが渋温泉。1303年、京都東山の臨済宗東福寺の虎関国師(こかんこくし)、練国禅師(れんこくぜんし)がこの地を訪れ、草庵を構えて人々に温泉の効能を教えたことに始まります。この草庵が温泉寺です。
1556年、名僧節香徳忠(せっこうとくちゅう)により、曹洞宗として諸堂が再興され、このころ権勢を誇っていた武田信玄も深く帰依、川中島の合戦で傷ついた将兵をここ渋の湯で癒しました。一帯はしだいに温泉郷としての街並みが形作られ、江戸時代には、真田家の武将たちの湯治場として、また湯女が集い、色香漂う湯処として多いににぎわいました。
排人小林一茶もしばしば来訪し、「湯けぶりやそよとあしらふ初時雨」などいくつもの名句を残しています。

