歴史

歴史

村政をめぐる「古禄派」と「新禄派」の争い

倉敷川の船運による備中米の集散地として開かれた倉敷。江戸時代には幕府の天領となり、備中の政治、経済、文化の中心地として著しい成長を遂げました。倉敷で商いをつかさどっていたのは村役人や地主といった土地の権力者で「古禄 (ころく)商人」と呼ばれる人々。政・財を掌握し、富と繁栄を謳歌(おうか)していた古禄派でしたが、江戸時代半ばを過ぎ、これに対抗する新たな勢力が台頭してきます。綿や干鰯(ほしか)の仲買で財をなし、倉敷に移住してきた「新禄(しんろく)商人」です。新禄派は村政を独占する古禄派としばしば衝突し、ついに1790年、古禄派の独占支配と不正を糾弾する訴訟を起こします。結果は新禄派の勝利。村役人の罷免と選挙制の導入を果たし、農村部の地位向上に大きく貢献しました。現在美観地区に並ぶ蔵屋敷のほとんどは新禄派の家々で、大原家の祖先「児島屋」もまた新禄派の商人でした。

  • Blogじゃぱん「ホームタウン・ホームページ」
  • やさしいブラウザ
  • IAサーバー・ソリューション・カタログ