歴史

養老館

藩を支えた2本柱、和紙生産と人材教育

江戸幕府成立から明治を迎えるまでの250年余、津和野は亀井氏11代の統治下にありました。西に毛利、東に松江、浜田という大国に挟まれた津和野藩は、産業開発と教育振興に藩の安定を求めました。産業においては4代茲親(これちか)の代に始まった和紙生産が成功し、4万3千石の小国ながらその実禄は15万石にものぼったといわれています。教育振興の分野では、8代矩賢(のりたか)が1786年、藩校養老館を創設。11代茲監(これみ)の文教改革で、儒学、医学、礼学、数学、兵学、蘭医学といった学科を充実させました。養老館は後に、西周(にし・あまね、西洋哲学者)、森鴎外(文豪、軍医)、福羽美静(ふくば・よししず、国学者)、中村吉蔵(劇作家)など数々の英才を輩出。ここでの教育は、藩政にとどまらず、日本の近代化においても重要な役割を果たしました。小国の安定は、和紙がもたらす豊富な財力と優れた人材によって、見事に保たれたのでした。
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