釧路 歴史

大正・昭和の街
釧路停車場

釧路港は名実ともに東北海道の拠点港になりました。



釧路は昔「クスリ」と呼ばれ、アイヌの人々が川沿いにコタン(集落)をつくって生活していました。寛永年間(1624?1643年)の記録によると、このころから松前藩との関係が深くなってきたことがうかがえます。 始めは松前藩の船が定期的に現れて交易をしていましたが、18世紀半ばごろから、木材やコンブの積み出しが始まり、本州の農民や漁民がこの地に出稼ぎにくるようになりました。
1799年(寛政11年)に蝦夷地が幕府領になると、訪れる役人や漁民も多くなり、旧釧路河口にはクスリ会所や、旅宿所、酒造所などが設けられるようになりました。 現在の佐野碑園あたりは、交易や、漁業、交通の中心になったといいます。
1869年(明治2年)に、蝦夷地は北海道に、クスリは釧路に改称されます。1899年(明治32年)には釧路港が開港し、1909年(明治42年)になると、釧路に近代港湾を建設する予算が国会を通過して、港湾の修築工事が始まります。 このころから、釧路は北海道東部の鉄道、汽船輸送の基点になってきます。1901年(明治34年)に釧路─白糠間が開通、1907年(明治47年)には釧路─帯広─旭川間が全通して、札幌、小樽、函館とも結ばれるようになりました。 こうした鉄道の開通によって、十勝内陸開拓の門戸が十勝川口港大津から釧路港に移転され、本州からの十勝入植者は釧路港を経由するようになりました。
釧路港は1951年(昭和26年)には、国から重要港湾に指定され、東港だけでなく、西港が整備されるとともに、名実ともに東北海道の拠点港になったのです。
  • Blogじゃぱん「ホームタウン・ホームページ」
  • やさしいブラウザ
  • IAサーバー・ソリューション・カタログ