復興と発展を繰り返し日本経済の中心に
1590年に徳川家康が江戸城に入城しましたが、そのころは現在の中央区にあたるあたりはほとんどが海でした。その後、急速に城下町の整備が行われ、埋め立てにより現在の中央区となる土地が形成されていきました。東海道と奥州街道を結ぶ道路もでき、日本橋が架けられ、また五街道の起点にも定められました。その結果、人の往来も増えて商業が盛んになり、日本橋近辺は飛躍的に発展しました。何度かの飢饉(ききん)や大火を、幕府の積極的な復興推進に助けられて乗り越え、時代は明治へ移り、江戸も東京と改められます。1873年(明治6年)渋沢栄一が第一国立銀行を創業したのをきっかけに、次々と銀行が開業。1880年(明治13年)の時点で東京市内に24行、うち20行が日本橋にありました。蛎殻町には米商会所(現東京穀物商品取引所)が設立。東京証券取引所の前身である東京株式取引所も1878年(明治11年)に開所。周囲には証券会社が軒を連ねました。そのような資本主義の基盤が日本橋を中心にできつつあった1882年(明治15年)10月10日、日本の銀行の総元締めとして日本銀行が創業。29年に現在地の本石町に移りましたが、それまでは豊海(とよみ)橋近くの開拓使の物産売捌所(うりさばきしょ)を譲り受け、そこで営業していました。1982年に創業100年を記念して、日本橋川にかかる豊海橋のたもとに、当時の建物を刻んだレリーフが建てられました。現在も国内唯一の発券銀行として、日本経済の発展を支えています。