世界の先端を走る「町工場」のオヤジさん
三鷹光器株式会社 代表取締役会長 中村義一(なかむら・よしかず)さん
軍事工場の町がはぐくんだ技術屋中央線・武蔵境駅を降りてタクシーを拾い、「三鷹光器、分かりますか」と尋ねると、たいていの運転手は、分かると答え、その後こう続けます。「あそこに行ってくれってお客さん、多いんですよ。でもあんな小さな町工場に、なんの用事があるんですかね?」。確かに見かけは普通の町工場。三鷹光器が、望遠鏡や宇宙工学機器、医療機器などの光学分野で、世界で最先端の技術を持っていることを、地元でも知らない人が多いのです。その三鷹光器の創業者が中村義一さん。カール・ツァイスやライカといった、この世界のトップメーカーからも「MITAKAの仕事」は絶大な信頼を得ています。中村さんがこの道に進んだのは、市内に昔から天文台があったこと、調布飛行場が開設されて以来、国立中央航空研究所や中島飛行機などの軍需工場が集まっていたこと、など「三鷹育ち」であることと無縁ではありません。子どものころ器用さを買われて、友達が防空壕を掘らされているのに、ひとり飛行機のプロペラづくりにまわされ、そこでも「坊やの腕はここじゃもったいない」とエンジンカバーの部署にまわされたりました。三鷹光器の望遠鏡の先端部は丸みがあるのが特徴ですが、当時のエンジンカバーのデザインが引用されているのだといいます。
技術一本の世界で勝負したい
自然の流れで天文台で働くようになりましたが、「星は今でも好きじゃありません」と笑います。「エンジンみたいに速く回るものが好きでしたから、一日一回転とか、一年一回転なんてのんびりしたものは本当は性に合いません(笑い)。しかし、戦後の天文台には、ドイツの高価な測定機器が、壊れたまま野ざらしになっていて、修理のため自由に分解することができました。当時の最高峰の技術を自分の手で触れられたのが幸運でした」。天文台の仕事は技術者としては面白かったが、学歴のない自分はここにいても偉くなれない、と独立を決意しました。「根っからの職人の自分は、商売は苦手」と、技術一本で勝負できる世界で、自分の力を試すことになりました。南極観測隊の観測機器、日本一口径の大きい103センチ望遠鏡、スペースシャトルに搭載するモニターカメラ、物体に触れず光で三次元形状を測定する装置……。たった33名ほどの職人たちがカタチにした技術の中には、大メーカーが追いつけないものも多く、特に脳神経外科用の手術用顕微鏡のように、「ブランドより中身の信頼。そうでなくては使えない」分野で売り上げを伸ばしました。
人のためになるものをつくるのが真の目的
「中小企業はいいものをつくっても、すぐまねされてしまいます。常に先を歩まなくてはいけません。そのためには、自分で目標を立て、考えることが大切です。若い人たちに、足して10になるのは、5たす5だけでも、1たす9だけでもないんだ、とよく言います。その場に応じて、求められる答えは違います。小数点以下の挑戦が必要なこともあります。とはいえ、ウチの機械は分解しても大事なことは分からないようになってますが(笑い)」。現在、三鷹光器は光ファイバーを利用した近未来の情報通信網の世界で、得意の「サブミクロンの技術」を応用した様々な開発を進めています。「技術者は、自分の好奇心を満たすだけではいけません。人のためになるもの、だれもが使いやすいものをつくるのが真の目的です。よりよいものを私たちが生み出すことで、三鷹という地名が、世界の人々の心に好意的に刻まれるようになるのが夢です」
