歴史

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勝道上人の手によって、日光は開山されました

奈良時代の末期に、仏教の修行僧としてこの地に足を踏み入れた勝道上人は、男体山を望む四本竜寺を建立し、長年の修業の末に前人未踏の山頂に到達することができました。このことに端を発し、日光には、次第に男体山と女峰山の二山を中心とする山岳信仰の形態が整っていったのです。初期の信仰は二荒神(ふたあらがみ)で、男体山は二荒山(ふたらさん)と呼ばれていました。これが後に、現在の呼び名である日光(二荒=にこう)のもとになったといわれています。やがて二荒山の総称が日光山となり、鎌倉時代に入ると、今までの二山信仰が、太郎山を加えた三山信仰へと変化しました。このころの日光山は、将軍家の帰依も厚く、日光文化が花開きました。一時、秀吉の下で衰亡の危機に瀕(ひん)しましたが、1617年に社殿を造営して、徳川家康の神霊を祭ったことにより、徳川体制の下で再び繁栄することになりました。
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