国際貿易都市堺の隆盛
堺は瀬戸内海と幾内(きない)を結ぶ商港として、また摂津、河内、和泉の3国を押さえる軍港として開かれました。15世紀末には、日明(にちみん)貿易を中心とする海外貿易の拠点となり、貿易によって膨大な富を手にする豪商も出現。これらの堺商人たちは、財力をもって領主に自治特権を認めさせ、積極的に自由貿易を開始します。日本からは硫黄、銅、刀剣、工芸品などを輸出し、中国(明)からは生糸、絹織物、陶磁器、薬などを輸入。東南アジアのシャム、ルソン、スマトラなどとも直接貿易を行い、輸入品を売りさばいては巨利を得ていました。1543年にポルトガル商船が種子島に漂着してからはポルトガル、イスパニアとのいわゆる南蛮貿易も本格的に始まり、また、このとき種子島に伝来した鉄砲は、堺を支える一大産業へと発展しました(写真は今も市内に残る鉄砲鍛冶屋敷町跡)。こうした商人たちの活躍は江戸初期まで順調に続きましたが、1639年、江戸幕府の鎖国決定後、次第にその経済力も弱まり、町は衰退の一途をたどりました。