織田信長も苦戦した一向一揆
戦国の世、紀州(和歌山県の旧名)では、根来(ねごろ)、雑賀(さいか)といった寺院勢力が割拠していました。彼らは僧侶とその門徒の土豪、農民、地侍などで構成される集団で、領国支配を狙う戦国大名たちに抵抗していました。天下統一をめざす織田信長もこれらの勢力と剣を交え、なかでも石山本願寺(大阪)を中心に結束する一向宗徒の一揆(いっき)には苦戦を強いられました。信長の死後も一派の抗戦は続き、天下統一の志を継ぐ豊臣秀吉も大いに悩まされます。しかし、根来寺の火攻め、太田城の水攻めなど、諸勢力のねじろをことごとく撃破し、紀州を攻略。ただちに和歌山城の建設を開始し、弟、秀長に与えました。これが県都和歌山市の起源です。その後、浅野氏時代を経て、1619年、徳川頼宣(よりのぶ)が入封。以来徳川御三家の城下町として発展し、明治の廃藩まで繁栄は続きました。