野洲 歴史

円山古墳
円山古墳
弥生の森歴史公園
弥生の森歴史公園

古代人は、銅鐸の音色に祈りを託しました。

銅鐸は弥生時代、「音の鳴る祭器」として使用されたと言われています。本来は吊り手部分を吊るして用い、舌(ぜつ)と呼ばれる棒を銅鐸内部にぶらさげ、本体と触れ合わせて音を鳴らしていたと考えられます。
大岩山で発見された24個の銅鐸をそれぞれ見比べてみると、10数センチから134.7センチと、大きさがまちまちで、形やデザインにも微妙な違いがあります。これは、鳴り物としての役割から、しだいに装飾や形に意義が持たれるようになったことを示しています。銅鐸を鳴らすのは、神々に豊作を願い、収穫に感謝する祭りの場でした。
原始的な農耕技術しか持たない弥生人にとっては、作物の出来、不出来は神に頼るしか術がなかったのです。金属製品がほとんど存在しなかったこの時代において、銅鐸の音色ほど神秘的で崇高なものはなかったに違いありません。その甲高い音色は、地霊に願いを届ける声と考えられていました。これは、銅鐸の表面に、杵で穀物をつく人物や、高床式倉庫などが描かれていることからもうかがうことができます。
また、出土した場所が墓地ではないこと、弥生時代の中期から後期にかけて作られたさまざまな銅鐸が、入子(いれこ)になって一緒に埋められていたことなどから、銅鐸が個人の所有物でなく、ムラの共有財産として、使用しないときは意識的に埋められていたことが想像されます。

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