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セイショコさんが建てた熊本城
今も「セイショコさん」の名で親しまれている名将加藤清正は、1588年、関ヶ原の役の功績により、徳川家康より熊本の領主に任ぜられました。これまでの領主の居城、隈本城(くまもとじょう)はあまりにも手狭だったので、1601年、新しい城の建設に着手、7年の歳月をかけて熊本城を完成させました。
城下町と交通の整備をはじめ、灌漑(かんがい)、治水事業にも力を注ぎ、現在の熊本の市街は、このときに形づくられたといえます。しかし清正の死後、加藤家の治世は徳川家に謀反(むほん)の疑いをかけられる結果となり、1632年、熊本領は足利氏の流れをくむ細川忠利の手に移されました。
細川家の統治は、江戸時代を通して11代239年にわたり、城下は文化の薫り漂う都として大いに繁栄しました。明治に入り文明開花が進むなかで、1877年、西郷隆盛による西南戦争が起こり、惜しくも熊本城は焼失。現在見られる熊本城は後に再建されたものです。

