長崎 歴史

出島

出島──開き続けた異国への窓

長崎が天然の良港であることを発見したポルトガル人は、1570年領主の許可を得て、教会や病院まで備えた大規模な街を作りあげました。時の権力者たちも初めは彼らのもたらした珍しい品々を喜んで受け入れました。しかし、キリスト教徒が増加し、有力な大名までもが改宗するにおよんで、キリスト教は警戒の対象になり、弾圧され、しまいに禁教とされました。江戸幕府はカソリック諸国が日本を植民地にしようとしているのではないかと恐れ、1636年長崎に人工の島を作ってポルトガル人を集めました。日本人との接触を断ち、キリスト教の流布を遮断しようとしたのです。これが出島です。その後、キリスト教徒が島原の乱を起こすと、幕府は鎖国政策をますます強化し、1641年にはポルトガル人を追放してしまいました。そして代わりに平戸にあったオランダ商館がここに移って、交易を続けることになります。オランダ人たちは出島からの外出を厳しく制限され、窮屈な生活を強いられましたが、幕末まで彼らの貿易船の来航は続きました。こうして出島は西洋の新しい文明が入ってくる、たった一つの窓となったのです。現在の出島にはミニ出島の模型や出島資料館、歴史民俗資料館が設けられています。

●長崎駅から電車と徒歩で10分

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