
おごれる者は久しからず、屋島の合戦を経て、平氏は壇ノ浦で滅亡しました。
1180年、源頼政、頼朝が挙兵したことによって、源氏対平家の戦いの火ぶたが本格的に切って落とされました。 源平合戦といえば、一の谷(兵庫県)、屋島(香川県高松市)、壇ノ浦(山口県)の合戦での義経の活躍が知られています。 平氏は一の谷の合戦で敗れはしたものの、ここ屋島に陣を構え、九州瀬戸内地方の水軍を味方につけ、制海権を維持していました。 しかし1185年2月、一の谷の奇襲で気をよくした義経は、またしても平家に奇襲をかけます。 海からの襲来に備える平氏の裏をかいて、陸沿いに屋島の陣を襲撃し、平氏は海に逃れます。 源氏の若武者那須与一(なすのよいち)の扇の的のエピソードはこのときのものです。 弓の名手であった与一は、平氏軍が示した船上の扇の的を、強風が吹く中、70メートルも離れたところから見事に射抜き、両軍からの喝采を浴びました。 このエピソードは、歴史に残る名シーンとして語り継がれています。ここでも敗れた平氏は、西の壇の浦へと逃れましたが、源氏の猛攻に屈し、1185年3月、滅亡しました。
