![]() 蜂須賀至鎮 |
![]() 阿波水軍 徳島藩参勤交代渡海図屏風 (森崎春潮筆 蓮花寺蔵) |
![]() 蜂須賀家武具 萌葱糸威二枚胴具足 (もえぎいとおどし にまいどうぐそく) |
阿波の海賊は、水軍を経て、輸送船団に発展しました。阿波(徳島県の北部)は、海に開けた土地柄、古くから海賊が横行していました。窮易な軍事力を誇る彼らは、やがて大名たちの配下になり、水軍として活躍するようになります。このころ、豊臣秀吉は次第に勢力を拡大し、1585年、四国を平定すると、有力家臣の蜂須賀家政(はちすか・いえまさ)に、この地の統括をまかせます。蜂須賀家は、阿波海上を牛耳っていた水軍の森一族を配下にして勢力を伸ばし、以後、秀吉の九州出兵や小田原出兵などで活躍します。秀吉の死後、豊臣方と徳川方の争いが始まると、家政の子、至鎮(よししげ)は徳川方に参陣して、ここでも森一族が束ねる蜂須賀水軍は、めざましい活躍を見せます。「大阪冬の陣」では、豊臣方を見事に攻略し、この功績で、蜂須賀家は25万7000石に加増されたといいます。しかし、戦乱の世が終わり、徳川支配が始まると、水軍の軍事色はしだいに薄れ、輸送船団としての色が濃くなります。この輸送船団は、3代家光の時代には、もっぱら藩主の参勤交代に尽力するようになりました。 |



