戦場に散った娘子軍(ろうしぐん)
白虎隊の陰に隠れてさほど知られてはいませんが、会津戊辰(ぼしん)戦争で男たちに混じってなぎなたを抱え戦場に出て戦った女たちがいました。藩士の妻や娘たち20余名からなる、娘子軍です。会津藩は子弟に対する教育に熱心で、娘たちも学問だけでなく武芸にも励みました。なかでも中野竹子は、文武に優れた美女であったといわれています。なぎなたの先に、「武士(もののふ)の猛(あつ)き心にくらぶれば
数にも入らぬ我が身ながらも」という辞世の歌を結びつけて勇敢に戦ったものの、力つきて討たれてしまいます。22歳の若さでした。中野竹子殉節の碑が、市内神指町に建てられています(写真)。毎年会津秋祭りの時代行列には、白はちまきにたすき掛け、袴(はかま)姿でなぎなたを小わきに抱えた娘たちの姿が見られ、娘子軍の悲劇がしのばれます。