歴史

南部藩

「三日月が丸くなるまで南部領」

政権を取り戻そうと兵を挙げた後醍醐天皇は1333年、ついに鎌倉幕府を滅ぼしました。史上に残る政変、建武の新政です。天皇は東北地方を支配するため、奥州の国司に北畠顕家(きたばたけあきいえ)を任命し、多賀の国府(宮城県)で政治をとらせました。このとき、顕家に従って甲斐国から奥州に入り、国司の代理として八戸に赴任したのが南部師行(もろゆき)です。師行は1334年、根城(ねじょう)に城を築き、ここを拠点に奥州平定に臨みました。間もなく足利尊氏が北朝をたて、朝廷の南北対立がおこると、根城南部氏は南朝について足利方と対峙(たいじ)。激しい敵の猛攻から根城を守り抜きます。1392年の南北朝統一を迎え、足利幕府誕生後は、祖を同じくする三戸(盛岡)南部氏と連動して当地を支配しました。以来、南部氏の支配は江戸まで続き、その権勢ぶりは「三日月が丸くなるまで南部領」とうたわれました。
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