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「奥の細道」屈指の名句、「五月雨の降り残してや光堂」「夏草や兵共が夢の跡」はここから生まれました。
一関の地名は、平安末期に奥州一帯を支配した藤原氏が、平泉の南側を守るために置いた「関所」に由来しているという説と、江戸時代にこの地を治めた田村藩が置いた「関所」に由来しているという説とがあります。 いずれにしても、岩手県の南玄関口であるこの地は、古くから「関」、つまり交通の要所として、また北上川舟運の積換港として、大いににぎわったところです。 平泉をはじめ栗駒山、三陸海岸へもここが基点なります。元禄2年(1689年)5月13日(陰暦)、松尾芭蕉も「奥の細道」の道中ここに宿をとり、2里(8キロ)の道をおよそ2時間かけて平泉まで出かけています。 そして藤原氏の栄華がしのばれる中尊寺で「五月雨の降り残してや光堂」(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)を、源義経終焉(しゅうえん)の地である高館(たかだち)で「夏草や兵共が夢の跡」(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)を詠み、懐旧の涙にくれました。
取材協力:一関市企画調整課、平泉町観光商工課 企画制作:株式会社インフォ・クリエイツ
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