一関 歴史

藤原祭

藤原3 代により、高度な文化都市が築かれました。

東北史を大きく変えるきっかけとなったのは、平安末期(1051年)、北上川流域に大きな勢力を誇っていた安倍氏に、源頼義が戦いを仕掛けた「前九年の役」です。 藤原清衡(きよひら)はこの戦いの最中に生まれました。父、経清(つねきよ)は安倍氏に加担しましたが、戦いに敗れ、斬首されてしまいます。 その後、清衡は清原氏に育てられますが、28歳のとき、今度は清原一族に内紛が起こり、「後三年の役」が勃発します。 戦いの末、清衡が唯一生き残ることになります。こうして藤原氏の奥州統治が始まりました。 金、馬、漆などの豊かな産物に支えられ、中尊寺の再興、京文化の吸収に力を注ぎ、高度な文化が見事開花しました。 その栄華は基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)と3代にわたって受け継がれました。しかし1187年に秀衡が病死すると、奥州支配をもくろむ源頼朝が4代泰衡(やすひら)追討に動き出します。 藤原軍の抵抗もむなしく、1189年9月、泰衡は家臣に討たれ、ここに藤原氏100年の黄金文化は終わりを迎えました。    

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