いわき市 この町この人

草野 心平



詩人 草野 心平(くさの・しんぺい)1903〜1988

蛙(かえる)のシンペイさん
いわき地方で「蛙のシンペイさん」といえば、1987年の文化勲章受章者・草野心平のことです。結婚間もない1928年ごろ、ひどい貧乏のあげく、面識のない宮沢賢治あてに「コメ1ピョウタノム」と電報を打ったとか、「火の車」という酒場を開いたものの、興が乗ってくるとカウンターから飛び出して客と一緒に飲んでしまって商売にならなかったとか、逸話はつきません。
賢治に電報を打ったのは、農場を持っているから……と考えたからだが、賢治からはすぐに「これを処分して米にかえてほしい」という手紙と、分厚い本が何冊か送られてきたという。亡くなって10年たった今も、「有名になっても、子供のように純真で正直で気取らない人だった」「古いそば屋でおいしそうにコップ酒を飲んでいた」「時々、キラッと目が光ることがあった。あれがシンペイさんの詩人の顔だったのかなあ」などと懐かしまれています。

放浪と貧乏の中から
草野心平は、1903年石城郡上小川(現いわき市小川)で生まれ、13歳で母や長兄、姉を次々に結核で失いました。夭折(ようせつ)した長兄も詩人で、心平に大きな影響を与えました。その後再婚した父の家を嫌い、旧制磐城中学(現磐城高校)、慶応大学普通部と入・退学を繰り返し、中国に渡って嶺南大学(現中山大学)で学びます。しかし排日運動の高まりのため4年後に帰国し、しばらくの間詩を書きながら貧窮の中で各地を転々としました。編集者、記者、宣伝部員から貸本屋、焼鳥屋、居酒屋の経営までしましたが、商売上手ではなかったようです。
そんな中で、宮沢賢治と八木重吉を広く世に紹介し、詩壇に大きな地位を占めた「歴程」の創刊にも参加しました。また高村光太郎との温かい友情は終生続きました。詩人としては、詩集「第百階級」「定本 蛙」などで評価を確立し、蛙を通して生命力への賛美と自然のエネルギーをうたう「蛙の詩人」と親しまれました。それが縁で、隣の川内村(天然記念物モリアオガエルの生息地)の名誉村民になって毎年村を訪れ、自分の蔵書を村に寄付しました。村ではそれを収めた「天山文庫」を作って、今も「おらほの先生」(私たちの先生)を誇りにしています。

天山文庫(写真)
問い合わせ先/ 0240-38-3806(川内村公民館)、0240-38-2076 (あぶくま民芸館)

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