平泉の落武者が酒田繁栄の祖。 酒田三十六人衆
平安末期、奥州に平泉文化を築いた藤原氏は、源頼朝によって滅ぼされましたが、このとき、平泉の落武者36人が、秀衡の側室とも妹ともいわれる徳の前に従い、追手を逃れて酒田にたどり着きました。 彼らはここに安住の地を見いだし、商人となって回船問屋を始めるようになります。やがて町の世話役になった36人は、3人の月番を決めて町の行事と町政を司る自治体を構成します。 これが「三十六人衆制度」です。制度は戦国、江戸と引き継がれ、港の繁栄と町人文化を支えました。ちなみにあの本間様も三十六人衆の一人でした。
