酒田 歴史

千石船

豪商本間家が、酒田の発展を支えました。

酒田の歴史は本間家の歴史といっても過言ではありません。本間家は、江戸時代初期、米相場の投機でまたたく間に巨万の富を得た大地主で、戦前まで、今の酒田市のおよそ半分の田を所有していました。 本間家の基礎が築かれたのは3代四郎三郎光丘(みつおか)の時代で、大名貸し、商人貸し、農民貸しを行い、それぞれの返済にあたっては温情措置をとるなどして民の窮状を救いました。 また、庄内藩への多額の献金、砂防林の植林、新田開発、寺社の寄進、貧民救済事業など、町の発展のためには惜しみなく私財を投じました。 代が替わっても巨額の献金は続けられ、戦前までのあらゆる寄付金は本間家が引き受けたほか、酒田市の税金の半分を負担していました。 本間家旧本邸、本間美術館をはじめ、山居倉庫、山王日枝神社、光丘文庫など、現在の酒田市の観光スポットの多くは、本間家の資金で作られています。 「本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に」という唄がはやったというのもうなずけますが、商人としての分をわきまえ生活は意外に質素だったと言われています。

  • Blogじゃぱん「ホームタウン・ホームページ」
  • やさしいブラウザ
  • IAサーバー・ソリューション・カタログ